

切支丹屋敷跡
寛永23年(1646年)
もう今から約400年ぐらい前の江戸時代に建てられた(1646年)切支丹(キリシタン)を収容するお屋敷の跡地です。
寛永20年(1643年)に、筑前国(福岡)に漂着してきた、イタリアの宣教師ジュゼッペ・キアラやペトロ・マルクエズら10人、宝永5年(1708年)に屋久島に漂着したジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティなど、キリシタン禁教令が出されていた当時の日本に布教活動に来られた宣教師の方々が収容されたお屋敷なんですね。
ジュゼッペ・キアラはこの切支丹屋敷に収容後、迫害と拷問に耐えかね強制改宗させられ、岡本三右衛門という日本名に改名しました。
遠藤周作の小説「沈黙」の主人公のモデルとなったことでも知られています。
ここ、切支丹屋敷跡には、信者の八兵衛を生き埋めにして石を置いたという「夜なき石(八兵衛石)」もあります。
当時の様子が伺える、哀しい謂れのある石碑です。
今思うと異常とすら思える当時の日本の様子が、この史跡の歴史を調べてみるとよく解ります。
ひっそりとした目立たない史跡ですが、これはなんだろう?と思って調べてみると、普段なにげなく見過ごしていたこの小さな史跡にどれほどの辛い記憶があるのか。
ジュゼッペ・キアラの供養碑は小石川にある傳通院の敷地内に建てられています。
淑徳SCのすぐお隣です。
小日向の街の片隅には、こんな過去を持つ史跡もあるのです。
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切支丹坂を真っ直ぐ行き、庚申坂を上ると隣に文京区立茗台中学校があります。
ここ、区立なのにナイター設備があるのが羨ましい、近代的で綺麗な建物の中学校です。

庚申坂の上は春日通りです。
すぐ大通りに出られて、いきなり賑やかになるのが不思議な感じです。

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